渡辺 雅子
つうぃんくる 代表
会の事を話す前に、私の子供の事をお話したいと思います。
私の娘(愛称 ナナ)は、平成20年生まれの中途障害児です。2歳10ヶ月のときに、幼稚園で熱が出て、掛かり付けの病院へ行きましたが、運が悪く、その日は休診で、仕方がなく、別の病院で診察を受けたのですが、2時間近く待たされ、帰宅後、嘔吐と痙攣により倒れ、“ママ、行かないで!”という言葉を最後に、救急搬送、呼吸が無くなり、低酸素による脳の障害で、脳炎になり、それまで出来ていた、話すこと、食べること、見ること、体を動かす事ができなくなり、半年間、入院生活をしました。
初めの2ヶ月間は39~40度の熱が下がらず、筋緊張のため、体はエビのように反り返り、足首が内反足、呼吸も呼吸器に頼らないと生きていけない状態でした。脳炎の原因も未だ分からない状態です。
食事も出来ないため、経管栄養で鼻からラコールを入れていました。
しばらくして、呼吸器は外すことができましたが、退院後の生活はガラリと変わり、二年間、昼夜逆転の生活が始まりました。
朝4時に寝て、夕方5時に起き、目を覚ましている間はずっと体の緊張が治まらず、泣いてばかり、内服薬もほとんど効いていない状態でした。この先、どうなってしまうのだろうと毎日、悩み苦しみました。当時、私は仕事をし、帰りも遅く、主人とも別居しており(今は障害児を持つシングルマザーです)病院の受診、お風呂の介助など家族の手を借りなければ生活できませんでした。そんなとき、訪問看護の方から、障害児で医療的ケアが必要な子供も入園できる保育園が近くにあることを聞き、入園させると、昼夜逆転も治まり、笑ったり、口からペースト状の食事を食べることができるようになりました。保育園での生活は、健常の子供たちと一緒に活動することができ、ナナが大きく変化した時期でもありました。
しかし、残念ながら、体の緊張は治らず5歳のときに、あまりの筋緊張のためバクロフェンポンプをお腹に入れる手術を受けました。すると緊張が和らぎ、落ち着いて生活ができるようになりました。それまで、できなかった歩行の練習やお出掛け、色々な体験をすることで、ナナも興味を示すようになりました。
現在は、退院後から続けている鍼治療で手の動きや足の動きが出てくるようになり、特別支援学校に元気に通っています。
このサークルを立ち上げたきっかけは、3年前、障害児を育てるということに不安を感じ、悩みを相談する場所が無かったからです。ネットで子供の病気の治療方法や同じ境遇の方を見つけたりしていました。しかし、ネットでは、同じ地域に住む仲間を見つけることはできませんでした。
市役所での手続きや市のサービス、地域の病院のこと、同じ地域に住んでいないと分からない情報があったり…
月に1回でもいいから、話し合える場所を作りたいと思いました。そんなことを、訪問リハビリの先生に相談すると、リハビリの先生も実は同じことを考えていらっしゃって、偶然、通園のお友だちが近所に居ることがわかり、そのお友だちも同じ境遇で悩んでいて、初めは3人からのスタートでした。手探りの状態の中、友が友を呼び現在は12組のお友達と出会えることが出来ました。感謝です。
障害を持つ子供は何種類も病気を抱え、親は日々、子供の将来に不安を抱えています。
障害は治らないけれども、この先、長い子供の介護の不安や心配を少しでも和らげたい!と思い“つうぃんくる”を立ち上げました。
障害児を持つ親達がホッとできる居場所作り、重度の障害児が安心して生活できる居場所作りを目指して活動していきたいと思います。